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北の大地の南側から

サッカー・フットサルを中心にスポーツの話題を、時には楽しく、時には厳しく記していくブログです。

3月14日は巷ではホワイトデーですが、あのお人形にまつわるお話

こんにちは! Nishi です。

 

あーおい目をした♪

 

おにんぎょうはー♪

 

アメリカ生まれの♪

 

セールロイド♪

 

小学生の時歌ったのを思い出しました^^

 

突然歌いだして気が狂ったのか?

 

っと思ったかもしれませんが、本日3月14日は、昭和2年にアメリカの宣教師、シドニー・ギューリック氏より青い目の人形が贈られた日だそうです^^


童謡 青い目の人形 (童謡歌手、内田由美子さん)

どうして昭和末期生まれの僕が、この歌を知っているのかというと、僕が通っていた小学校に青い目の人形がありました。

 

それで、音楽の時間にこの童謡を習いましたので歌を覚えていました^^

 

当時、小学校ならどこにでもあるものなんだろうなぁって思っていたんですが、調べてみると、日本全国に300体足らずしか現存していないそうです^^;

 

僕の住む北海道でも、26体しか残っていない貴重なものだったとは意外でした^^;

 

青い目の人形の寄贈は、昭和2年(1927年)の出来事ですが、前述の童謡は、実は大正10年(1921年)に作られたものです。

 

おや?寄贈される前に歌が先に作られているっておかしな話ですよね?

 

しかし、これには理由がありました。

  

そんな数奇な運命を辿る青い目の人形の歴史に少し触れてみました。

 

なぜ寄贈されることになったのか?

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青い目の人形を寄贈したシドニー・ギューリック氏は明治20年(1888年)に来日し、25年間日本に滞在しておりました。

 

その滞在期間中に、日本文化や日本人の気質に触れ、大の親日家として目覚めることになりました。

 

そんな中、ギューリック氏がアメリカに帰国すると、母国アメリカでは人種差別からくる、日本人排斥運動が活発化していました。

 

当時はアメリカだけではなく、欧米列強が中心となり白人至上主義が横行し、有色人種の人権は軽視もしくは無視されていた時代でした。

 

人種差別が当たり前の国際世界の中で、唯一日本だけが有色人種の国でありながら国際舞台での発言力がありました。

 

人種差別に苦労していた日本は、人種による差別の撤廃を国際舞台で訴え続けていました。

 

それが欧米諸国から、特にアメリカから反感を買っていました。

 

ギューリック氏もこれには心を痛めていました。

 

そんな中、大正12年(1923年)に関東大震災が起こりました。

 

ギューリック氏は、何か自分にできることはないかと考えました。

 

その時、震災の2年前に日米友好を願って発表された童謡「青い目の人形」がありました。

 

募金を呼びかける際に、アメリカではこの曲を全米に流し募金を呼びかけました。

 

これに目をつけたギューリック氏は、「国際親善は子供の頃から必要」と考え、青い目の人形を日本の小学校に寄贈することになりました。

 

日米友好の架け橋を目指した”人形交流”

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まずギューリック氏は、関東大震災に被災し傷ついた少女たちは慰める意味も込めて、日本のひな祭りに合わせて人形を贈ろうとプロジェクトしました。

 

そして紆余曲折を経て、昭和2年(1927年)3月14日にアメリカから青い目の人形が1万2千体以上寄贈され、希望する全国各地の小学校に配られました。

 

蛇足ですが、この連絡窓口を担ったのが、次の新一万円札の顔に選ばれた渋沢栄一でした。

 

日本側もその返礼として、日本人形をアメリカに贈ることになりました。

 

アメリカの小学校でも、日本人形は好意的に受け止められ、大切に扱われていました。

 

しかし、民間レベルでは友好の努力は続けられていましたが、日米間の外交関係は悪化の一途を辿ってしまいます。

 

日米開戦時の人形たちの運命

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アメリカを中心としたABCD包囲網など、日本に対する封じ込めはますます強まっていきます。

 

そして、ついに日本側も我慢の限界に達し、日米は戦争へと突入してしまいます。

 

戦時中日米互いに、イエロージャップや鬼畜米英など憎き敵方として争いは過熱になっていきます。

 

そして人形たちも、敵の象徴として格好の標的になってしまいました。

 

アメリカでは、日本人形を倉庫の奥底に封されたり、日本では焼却や竹やり訓練の的にされてしまいました。

 

日本ではさらに、戦況が悪化していき、都市空爆などで被災し焼失したものが多くありました。

 

そんな激動の時代の中でも、友好の気持ちを忘れずに秘かに隠し保存してものが、現存されている人形たちです。

 

おわりに

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戦後は日米関係は改善され同盟が結ばれ、互いに友好関係を維持する時代になりました。

 

それに合わせ、隠された人形たちも表舞台にお披露目されるようになりました。

 

あの受難な時代を生き延びた象徴でもあると思います。

 

政治的な意図の他に、人種偏見によってもたらせられた暗黒の時代を繰り返さないという意味でも、現存する青い目の人形は、現代を生きる僕らにその過ちを伝えているのかもしれませんね。

 

今現在、日本全国に300体近くの青い目の人形が現存しています。

 

僕の過ごした片田舎の小学校にもあります。

 

これからの時代も、日米ともに明るい未来で包まれるよう、その澄んだ青い瞳で学童たちを導いて欲しいですね。

 

それでは今日はこのへんで。

 

ご拝読ありがとうございました。

 

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