こんにちは! Nishi です。
今週末より、いよいよJリーグが開幕しますね^^
昨年は、横浜F・マリノスとFC東京が熾烈な優勝争いを最終節まで繰り広げ、横浜F・マリノスが見事に制しました。
FC東京も、初めてのリーグ優勝がかかっていただけに悔しかったと思います^^;
この悔しさを今シーズンに活かせるか注目ですね。
他のクラブも、虎視眈々と強化を図り、優勝や上位進出を狙っています。
今シーズンもJリーグは面白くなりそうです。
さて、今シーズンからリーグ戦に新しい物が導入されます。
そうです。
皆さんご存知、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)です。
昨年は、一部のカップ戦でも試験的に導入されたりしましたが、いろいろ物議を醸しましたね^^;
そんなVARは、日本だけでなく、海外でもいろいろと物議を呼んでいます。
そんなVARですが、ある苦言を呈する人がいましたので注目しました。
コッリーナ氏は、中年サッカーファンの皆さんはご存知だと思います^^;
”世界一の主審”として活躍した、サッカー界のある意味レジェンドです。
その風貌から存在感があり、的確なレフェリングは最早名人芸を通り越し、”神”扱いされていました。
暴れん坊のサッカー選手もコッリーナ氏の前では皆、大人しくそのジャッジには従っていましたw
そんな審判としての現役時代のエピソードが残るコッリーナ氏は、今はFIFA(国際サッカー連盟)の審判委員会の会長を務めています。
そのコッリーナ氏が、今何かと話題のVARについて苦言しました。
「レフェリーはテクノロジーがあるかないかに関係なく、決断を下さなくてはいけない。だから、VARは必要なくなるのが目標だと言える。なぜなら正しい判定を下すために仕事をして、そのために準備をするからだ。そしてミスがあった時に、それがミスであったと自覚していたかにかかわらず、避難用のパラシュートが用意されていると考えられるのがVARだ」
※上記記事より引用
僕もコッリーナ氏の苦言には賛成です。
VARがあるからといって、それに頼りがちになり、本質である的確なジャッジが曖昧になってしまっては本末転倒だと思う。
あくまでも、ジャッジが正しいかアシストするものであり、審判の力量を量るものではない。
審判もミスをします。
それは現場にいる選手達にも、僕ら観戦している側もわかります。
大切な事は、ミスに飲み込まれないで、そのミスと共存しコントロールすること。
VARの存在意義は審判側だけではなく、僕ら観戦する側もそのへんを理解する必要があると思う。
記事の通り、最早VAR頼みの風潮は吹いているように感じています。
この前の東京オリンピック・アジア最終予選の時も、実況・解説者側から事あるごとに「VAR!VAR!」と、アホみたいな声を連呼させたりしていました。
盛り上げる為かもしれないけど、盛り上げ方が違うと思う。
無駄に地上波で、事の本質も理解しないで「VAR!VAR!」と連呼してしまうと、サッカーに詳しくない人達もそっちの方に引っ張られてしまう。
どういう事が起こるのかというと、VARの意義も理解せずに、自分の気に食わないことには全て文句を言うだけの存在になってしまう。
物事の本質を見れない見方しかできなくなってしまうのは危険な事だと思う。
こんなものの見方が習慣化してしまえば成長なんてできるはずがありません。
それにサッカーの面白さも半減しますしね。
もし、判定やプレイにミスがあったとしても、それをどう次に活かせるかにもっと重点を置きたいと思う。
観戦側もそういった眼力をつけた方が、より面白くサッカーの試合を観ることが出来るのではないのかなっと僕は思います^^
今週末にはJリーグも開幕し、VARでの運用も開始されます。
VARの判定によっては、大きく運命が変わることもあるかと思いますが、僕ら観戦側も、もう一度VARの存在意義を考えてもいいのでは?と最近思います。
長くなりましたので、今日はこのへんで^^;
ご拝読ありがとうございました。
了
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