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北の大地の南側から

サッカーとフットサルを中心にスポーツの話題を、時には楽しく、時には厳しく記していくブログです。

【サッカー】元日本代表監督オシムさん、逝く

こんにちは! Nishi です。

 

本当に強いチームは、夢を見るのではなく、できることをやるものだ

 

先日5月1日に突然の訃報が舞い込みました。

 

日本代表の監督を務めたイビチャ・オシム氏が、この日逝去されました。

 

2006年から2007年までのおよそ1年半と、監督就任期間は短かったですが、おそらく今でも記憶に根強い代表監督だと思います。

 

それだけ多くの日本のサッカーファンの記憶に鮮明に残っているのは、オシムさんが日本に残したものが大きかった表れなのかなって思います。

 

それでは、オシムさんの功績を振り返ってみましょう

 

ジェフ千葉の立て直しと日本代表監督へ

nordot.app

オシムさんと言えば、『考えながら走るサッカー』が一番有名な言葉だと思う。

 

この考えながら走るサッカーってフレーズは、サッカーでは当たり前の事なんだけど、当時は日本中のサッカー感として、まだまだそれが浸透していなかった感があるので、心に残るキーワードとしてはすごくわかりやすくていい言葉だと思います。

 

当の本人も、記者団にその事を聞かれた際に、「サッカーでは当たり前の事だ」とすぐさま切り返したように、当時の記者団や観る側はサッカー原則的な認識が乏しかった(^_^;)

 

しかし、オシムさんの巧みな部分は、それらを諭すようにわかりやすい言葉を選んで伝えた部分にあると思う。

 

今で言う、言語化の大切さをその時感じさせましたね。

 

そういう事もあるので、今指導に当たっている年代やサッカー観ている人達は、オシムさんの影響を強く受けているんじゃあないかなって個人的に思ったりしていますね

 

それだけ日本のサッカーに影響を与えたと思う。

 

決して戦力的にも恵まれているわけではない、ジェフ千葉を優勝争いするくらいのレベルに押し上げ、その手腕を買われ日本代表監督に就任しました。

 

日本代表でもオシム監督の時に初招集や出場機会を得た阿部勇樹鈴木啓太など、その後の日本代表に欠かせない選手達を選出しました。

 

運動量があり、目まぐるしく変わる試合展開に合わせてポジションチェンジしても対応できるユーティリティ性を求めたのも、今の日本代表に残っていますね。

 

僕も基本ベースはそこでいいと思います^^

 

基本ベースが整った上でスーパーな選手を何人か配置するのは、全世界どこの国でも行われているので、この基本ベースはブレない方がいいと思う。

 

日本は日本が得意な事を活かしながら戦う

 

フィジカル面ではどうしても分が悪いので、日本の強みを活かしたサッカーを目指し指針を示したのは功績だと思う。

 

今でも、ユース年代からも前線の選手達は当たり前のようにプレッシングにも参加するようになったし、時代の流れもあるかもしれないけど、より具体的に、そして世の中に走りながら考えるサッカーを広めたは偉大だったと思います。

 

海外での功績

soccermagazine.jp

オシムさんの活躍は、日本だけではなく、その名前は世界中でも知れ渡っています。

 

特に印象強いのは、1986年から1992年代まで務めた旧ユーゴスラビア代表監督を務めた時です。

 

当時のユーゴスラビアは、クロアチアやオシムさんの祖国であるボスニア・ヘルツェゴビナなど7つの国がひとつにまとまった連邦国家でした。

 

ユーゴスラビアのストイコビッチやクロアチアのボバンなど各構成国にスター選手を揃えて、東欧のブラジルとの異名がつけられるほどに魅力のある代表チームでした。

 

その名に恥じることなく、90年のイタリア・ワールドカップではマラドーナを擁するアルゼンチンにPK戦で敗れるものの、ベスト8まで勝ち進みました。

 

選手達の能力も素晴らしいものがありますが、多民族国家故に、チーム内外の軋轢など相当あったそうです。

 

オシムさんが就任前は、例えばユーゴスラビアで行う試合ではユーゴスラビア出身者を中心に構成したり、クロアチアで行う場合はクロアチア出身者を中心に構成とか、民族的な背景を配慮した構成が多かった。

 

オシムさんは、そうはせず、その試合に勝つ為にどうサッカーをするかに絞り、それらを上手くまとめ上げ強いチームを作っていきました。

 

それでもメディアやサポーターなどでは、スター選手ばかり集めた構成を求めたり(日本でもあったなぁ…)現実的な補完性など無視した批判もあった時は、わざとそのように起用して試合に敗れて、その後自分の考える構成で試合に勝たせてみせたという荒業をやってのけたようです(^^;

 

2年後の欧州選手権も優勝候補だったのですが、その前年に構成国であるクロアチアとスロベニアが連邦離脱し、内戦へと発展してしまいます。

 

その際も、何とか代表チームの団結力を維持しようと努力しますが、連邦末期の流れには逆らえずユーゴスラビア代表は解体することになります。

 

祖国ボスニア・ヘルツェゴビナも独立する運びになりましたが、民族間の紛争関係なくサッカー強化に勤しんだ功績は世界でも認められる事になりました

 

おわりに

日本だけではなく、オシムさんの祖国ボスニア・ヘルツェゴビナや代表チームを率いたセルビアなどからもお悔やみの言葉を捧げられています。

 

それだけ偉大な監督だったという証拠だと思います。

 

僕らとしては、オシムさんが日本の為にと残してきたその哲学を活かして、日本のサッカーを発展させていかないといけないですね。

 

それがオシムさんに対する最高のたむけかもしれないですね。

 

僕も現役は退いたけど、その魂を受け継ぐように後進の後押しと若い才能達をもっと飛躍させるべく努力しないといけないですね。

 

改めてお悔やみ申し上げます

 

それでは今日はこのへんで

 

ご拝読ありがとうございました

 

 

 

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