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北の大地の南側から

サッカーとフットサルを中心にスポーツの話題を、時には楽しく、時には厳しく記していくブログです。

【サッカー】ウクライナ危機がサッカー界にも影響!?サッカーにも影響を及ぼす国際情勢

こんにちは! Nishi です。

 

今日はサッカー歴史シリーズです。

 

というより、サッカーからひも解く国際情勢も入り混じっています(^^;

 

新年明けて、国内外問わずいろいろなニュースが飛び交い慌ただしくなってきていますね。

 

その中でも、あわや戦争になるのでは?っと、世界中の視線を釘付けにしているのがウクライナ情勢ですね。

 

趣味的な知識量しかありませんが、西洋史も興味深く勉強していたので、このへんの事情の解説とサッカーが絡んだ話もしていきたいと思います。

 

ウクライナ危機とサッカー

jp.reuters.com

ロシアとウクライナの緊張は、歴史的にも興亡は繰り返されてきたので、必然と言えば必然の問題です。

 

元々この地域は、今のウクライナにあたるキエフ公国が支配をしたり、北のバルト三国らとともに領土の拡張&縮小を繰り返していました。

 

その間にモンゴル帝国の襲来など、国の興亡が繰り返され、キエフ公国から分かれる形でロマノフ朝ロシア帝国が興り、ロシア地域の興亡が現在にまで至っています。

 

ロシアの国土は、僕らが想像するように寒い地域が多く、なかなか農作物が豊富に獲れる場所が少なく、その中でもウクライナは平地も多く大きな川もあり、穀倉地帯としてまた海路など交通の要所として重要視されていました。

 

かつてのソビエト連邦の名残でロシア系住民も多く、ロシアとの親和性が高い人の独立意識&ロシア合邦意識も高く、今回こういった不穏分子を上手くロシアに焚き付けられた感じですね。

 

さて、ここからサッカーの話に移りますが、こういった政治的な話題に、エンターテインメントのサッカーは無関係では…っと思うかもしれませんが、結構接点があり無視できない問題でもあります。

 

ウクライナ代表チームは、2000年代前半から中盤にかけて、シェフチェンコレブロフ等を要して中堅国の強豪として頭角を表していました。

 

堅守速攻タイプの手堅いサッカーでしたが、シェフチェンコの爆発力と技巧派のレブロフとのコンビは、当時のサッカーファンを唸らせていました。

 

彼ら主力選手が引退した後、衰退しましたが、そのレジェンドのシェフチェンコが監督として戻ると代表チームも成績が向上、昨年のユーロ2020もベスト8まで勝ち進みました。

 

現在監督は変わりましたが、今回のワールドカップヨーロッパ予選もグループリーグをフランスに次ぐ2位でプレーオフ進出し、ワールドカップ本戦まであと一歩まで迫っております。

 

予選を突破してウクライナの復活も期待したいのですが、このウクライナ情勢不安によって代表チームに少なからず影響は出ると思います。

 

国内リーグでは、ディナモ・キエフシャフタール・ドネツクは2大クラブとして熾烈な優勝争いを毎シーズン争っています。

 

このシャフタール・ドネツクが本拠地としているドネツク市は、ドネツク市を中心とした東ウクライナにはロシア系住民が多く、この情勢不安の原因にもなっているロシアとの合邦派が多い地域です。

 

その為、現代表でもドネツク所属選手の境遇などどうなるか不透明なものがありますね。。。

 

ちなみにこのシャフタール・ドネツクは、ソビエト連邦崩壊後自由主義導入によって、ウクライナの大富豪が積極的に資金を注入したことで力をつけていったクラブです。

 

ソ連の崩壊によって成功したクラブが、再びソ連の後継国ロシアに再び飲まれるという皮肉的な結果になるかもしれないですね。。。

 

サッカーにも影響する歴史的事件

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戦争あるいは侵略、政変によってサッカー代表チームが崩壊した例はあります。

 

有名どこで言えば、1930年代のオーストリア代表と1950年代のハンガリー代表が上げられるでしょう。

 

1930年代、オーストリア代表はヴァンダーチーム(奇跡・驚きのチーム)と呼ばれ、当時世界最強とも言われていました。

 

そのサッカーの内容は、後のオランダ代表のトータルフットボールのようなサッカーをしていたともいわれています。

 

そんな最強のチームも、1938年のワールドカップ開幕直前にナチス・ドイツにより本国オーストリアが併合され、代表チームごと消え去ってしまいました。

 

ちなみにこの事件でオーストリア代表が消滅してしまったため、対戦予定だったスウェーデンがワールドカップ史上唯一の不戦勝で勝ち上がりました。

 

1950年代のハンガリー代表は、マジック・マジャールと呼ばれ、当時連勝を重ねしかもスコアは4点差以上など圧倒的強さを誇っていました。

 

このハンガリー代表が駆使した3-2-2-3システムは、ポジションを固定するのではなく、前線の5人がポジションを入れ替わるという当時としては斬新な戦術でした。

 

現在でも使われている5レーン理論の原型は、このハンガリー代表が起源かなって思っています。

 

それくらい近未来的なサッカーを披露していたチームですが、共産主義体制に反対する大規模デモが起こり、鎮圧の為に軍も動いたハンガリー動乱によって、当時遠征中だった代表チームは帰国できずにそのまま亡命、空中分解してしまいます。

 

こういった政治事情によって、サッカーの代表チームにも影響は及ぼすことがあります。

 

実は日本も1930年代には実力もつけてきていて、1936年のベルリンオリンピックで優勝候補だったスウェーデンを破るなどそれなりに力がついてきた時代でした。

 

1938年のアジア予選でオランダ領インド(現在のインドネシア)に勝てばワールドカップ出場でしたが、東アジアの情勢不安に巻き込まれ、ワールドカップ予選辞退することになりました。

 

政治とスポーツは本来切り離して考えるべきだと思いますが、地域性や文化、思想の違いで国がある以上、切っても切れない関係性なのかなって思ったりしています(^^;

 

おわりに

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サッカー以外の事で、チームの弱体化が起きるのはとても不幸なことだと思う。

 

選手としてもとてもやり切れない気持ちになりますしね。。。

 

歴史をある程度認識している身としては、こういった国際情勢の複雑性は十分理解しています。

 

ただそれでも、僕の好きなサッカーが絡んでいるからではなく、力による現状変更は許しがたいし、今回のロシアの行動には僕は訝しげに思います。

 

どうにか平和裏に事が治まって欲しいと願うばかりです。。。

 

それでは今日はこのへんで

 

ご拝読ありがとうございました。

 

 

 

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