こんにちは! Nishi です。
先日チラッとブログで話しましたが、このコロナ禍で世の中バタバタしている中でも、エンジョイフットサルですがGKのコーチをお願いされました。
まぁコーチとは言っても、お金貰ったり、定期的に練習に参加してがっちりやるわけではなく、あくまでもエンジョイなので肩の力を落として指導に励むつもりです^^
そんなコーチ稼業(?)ですが、社会人や小中学生関係なく、サッカーを楽しむ事を念頭に教えていますが、同時に基本的な技術と考え方を教えます。
基本がなければ何事も
僕は指導する時は、選手に主体性をということで、あまり教えすぎないようにという心構えはありますが、こちらから始めから言う場合もあります。
普通にサッカーないしフットサルをするだけなら、ピッチに立って好きに動けばいいと思います。
でも、それだけでは飽き足らず、もっとシュートを決めたいとかドリブル上手くなりたいと言うのであれば、好き勝手にやるのでは限界があります。
よく自由にやれとか個性を活かせとかという言葉が一人歩きし過ぎて、“基本”を教えないケースがたまにみられます。
僕は、最低限の基本は最初から教えておいた方がいいと思っています。
それは技術もそうですが、戦術面でも同じ事です。
GKとしては、はじめに好き勝手にやっても、キャッチの仕方やダイビングの仕方がめちゃくちゃだとゴールを守れないどころか、大怪我の元になります。
ですから基本は必ず教えてから、その後選手の主体性を活かすように働きかけるようにしています。
型破りな発想も”型”が必要
日本でも古来から“型破り”という言葉があります。
皆さんは意味を正しく理解していますか?
本来通りの意味では、型を学んでから破るというものです。
何事も基本があって、その基本(正攻法)の考えの想像を超えなければ“型破り”にはならないのです。
最初っから「俺は型破りなことやりてぇから俺は学ばない」は“型無し”と言えますね。
特にGKは、基本ができないと咄嗟の出来事に対応や応用が効きません。
先日紹介した浦和の鈴木選手のナイスセーブも、本来なら逆手で処理するのが正しい(型)のですが、シュートのスピードと自分の飛ぶタイミングが合っていない事を察知して、瞬時に手を出しやすい順手に切り替えてセーブしたのも“型破り”なプレイと言えます。
この考え方は、日本だけではなく、例えば孫子の兵法でも“正を以て合し、奇を以て攻める”という文節もあります。
意味は同じく、正攻法で構えて攻める時は相手が思いもつかなかった戦法で攻めるという意味。
この奇襲(機転)を身につける意味でも、初めに型(基本)を覚える事は避けて通れないと思います。
だからこそ、はじめは放っておくのではなく、基本的な形はきちんと教えてから後は見守るようにしています。
おわりに
先日のブログで、浦和のGK鈴木選手を取り上げましたが、そのプレイを見てやっぱり基本って大事だなっと思いましたので、改めて基本について僕の考えを示しました^^
広く知れ渡った考えだけど、何事もやっぱり基本なんだと思う。
ただ、その基本そのものが間違えていたり、自由を信奉し過ぎて疎かにするのはよくないと思う。
そのへんのさじ加減は上手く使い分けをしたいと思います^^
それでは今日はこのへんで
ご拝読ありがとうございました
了