こんにちは! Nishi です。
昨日は彼岸という事で、お墓参りやら何やらでバタバタしておりました(^_^;)
祖父の立ち日も近いということで、この時期うちではお墓参りは欠かせない行事になっております。
結構何でも現実主義な僕でも意外と信心深いのですw
家自体はそんなに堅苦しい程信心深くはないけど、まぁ最低限ご先祖様の霊を敬う事は忘れてはいけないと僕は思います。
こうやって今自分が存在しているのも、お爺ちゃんお婆ちゃん、更に更にもっと前から代々続くご先祖様がいたからですからね。
そういう意識は日本や外国、宗教関係なく共通認識かなって思います。
まぁ、うちは門徒宗(浄土真宗)なんで仏教色が強いかもしれませんね(^_^;)
でも、古くさいと言われがちな仏の言葉でも、スゴい深みのあるありがたい言葉が多いです。
僕の好きな仏の言葉で”同行二人”という言葉があります。
この言葉、僕の周りの人で不幸などあった時に、その人達にいつもかけている言葉です。
この言葉を知ったのは、静ちゃんへの手紙という話で知りました。
その静ちゃんへの手紙、知っている人少ないかと思いますので、ここで紹介したいと思います。
このお話、戦時中の特攻隊の話ですが、別に戦争賛美だとか平和運動の為とかそういう意図で紹介するつもりはないことをはじめに言っておきます。
純粋に愛する人を守る為や家族愛の話として、読んでいただけると幸いです。
幼き妹・静ちゃんへの手紙
大阪府出身の大石清伍長は、昭和二十年三月の大阪大空襲で両親を失い、幼い妹・静恵さんとたった二人の家族になってしまいました。
そして静恵さんは、和歌山の伯父の元に引き取られていました。
妹思いの大石伍長は、給与のほとんどを妹に送金し、その都度妹を気遣う手紙を添えていました。
そしてある日、静恵さんから返事の手紙をいただき、このように手紙を返しました。
「静ちゃん、おたよりありがとう。何べんも何べんも読みました。お送りしたお金、こんなに喜んでもらえるとは思いませんでした。神だななどに供えなくてもよいから、必要なものは何でも買って、つかって下さい。兄ちゃんの給料はうんとありますし、隊にいるとお金を使うこともありませんから、これから静ちゃんのサイフが空っぽにならない様、毎月送ります。では、お元気で。おじさん、おばさんによろしく」
大石伍長は、特攻隊としてこの手紙の数日後に出撃しました。
最後の手紙は整備担当の手紙とともに、大石伍長が出撃当日に書いた手紙が届きます。
「なつかしい静ちゃん!おわかれの時がきました。兄ちゃんはいよいよ出げきします。この手紙の届くころは沖縄の海に散っています。思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、それはかなしいことですが、許してください」
「兄ちゃんのかたみとして、静ちゃんのなまえで預けていて郵便通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学生に上がるときにつかって下さい。時計と軍刀も送ります。これもおじさんに頼んで、売ってお金に変えなさい。兄ちゃんの形見などより、これからの静ちゃんの人生の方が大事なのです」
「もうプロペラが回っています。さあ、出撃です。ではお兄ちゃんは征きます。泣くなよ静ちゃん、がんばれ!」
最後の「がんばれ!」という一言に、妹を最期まで慕う心がにじみ出ています。
最期まで愛する家族を想うこの純粋さは高潔だと思う。
その整備担当の人から一通の手紙が、静恵さんの元に届きます。
「大石静恵ちゃん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたと思います。わたしは、大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。伍長どのは今日、みごとに出げきされました。そのとき、このお手紙をあずかれて行かれました。おとどけいたします」
「伍長どのは、静ちゃんのつくった人形を、たいへん大事にしておられました。いつも、その小さな人形を飛行服の背中につっておられました。ほかの飛行兵の人は、みんな腰や落下傘のバクタイ(紐帯)の胸にぶらさげておるんですが、伍長どのは、突入するときに人形が怖がると可哀そうと言って、おんぶするように背中につっておられました。飛行機にのるため、走って行かれる時など、その人形がゆらゆらとすがりつくようにゆれて、うしろからでも一目で、あれが大石伍長どのだとすぐにわかりました」
「伍長どのは、いつも静恵ちゃんといっしょにいるつもりだったのでしょう。同行二人…仏さまのことばで、そう言います。苦しいときも、さびしいときも、ひとりぼっちではない。いつも仏さまがそばにいて励ましてくださる。伍長どのの仏さまは、きっと静恵さんだったのでしょう。けれど、今日からは伍長どのが静恵さんの、”仏さま”になって、いつも見ていただいてくださることと思います」
「伍長どのは、勇敢に敵の空母に体当たりされました。静ちゃんも、りっぱな兄さんに負けないよう、元気を出して勉強してください。さようなら」
この整備担当の人も、大石伍長と同じくらい優しい心の持ち主だったと思う。
お兄さんは亡くなってしまったけど、同行二人のことばを引用して、一人ではないよと声をかけ、亡くなった大石伍長を称え、その死に静恵さんが傷つかぬよう、最大限に心配りがされている文面になっています。
兄弟の強い絆の他に、その橋渡しになった整備担当の人からも、人としての温かさを感じます。
おわりに
何かと戦時中の話をすれば、右翼だの極右だの言われるけど、まぁそれは抜きにして当時はあった家族愛や郷土愛は、今現代より深さを感じます。
今は平和(?)が当たり前になっていますが、当時は今では考えられない人種差別や植民地主義が当たり前だった時代です。
そんな国際情勢の中、日本は今でいう白人・有色人種関係ない平等を求めていました。
そのことから生じたあの戦争は、家族や郷土、そして白人至上主義から国を守る為の戦いだったことは忘れてはいけない。
時代背景は置いといて、捉えた印象はどうであれ、これを読んでくれた皆さんも、忘れがちな大切なことをもう一度考えて欲しいと思います^^
それでは今日はこのへんで
ご拝読ありがとうございました。
了
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