こんにちは! Nishi です。
「サッカーは戦争だ」
サッカー経験者や経験者ではなくても、サッカー見るのが好きだよっという人でもよく聞くフレーズだと思います。
代表戦なら、それぞれの国の代表として国vs国の威信を賭けた戦いでもある為、それは激しいものになります。
また、クラブ同士でも隣の町には負けたくないとか、お金持ちの大都市のクラブには負けたくないっといったプライドのぶつかり合いにもなります(^^;
この火花散る意地と意地のぶつかり合いを”戦争”と例えることがあります。
中には代理戦争だという人もいます。
しかし、このフレーズに元クロアチア代表のズボニミール・ボバンは嫌悪感を抱いています。
ボバンの生まれ故郷クロアチアで起きた出来事を紹介します。
スタジアムの建国事件
今からちょうど30年前、前年の1989年にベルリンの壁崩壊を筆頭に東欧の共産主義国で革命の機運が高まっていました。
一党独裁の共産主義政府への抗議の波が激しく、一般庶民の民主化デモ活動が頻繁に行われていました。
当時クロアチアは、ユーゴスラビア社会主義連邦のひとつの構成国でしたが、ユーゴスラビア政府も民主化デモの波を抑え切ることができず、不満を緩める為に4月に自由選挙を行われました。
その自由選挙で反政府・独立派のクロアチア自由同盟が選挙で勝ちました。
クロアチア人にとっては、この自由選挙をきっかけに、一党独裁体制からの解放と独立への機運が更に高まりました。
その選挙後に行われた国内のリーグ戦で事件は起きました。
1990年5月13日にクロアチアで一番の人気クラブでもあるディナモ・ザグレブとセルビア人中心のレッドスター・ベオグラードが対戦しました。
前日の選挙の結果もあり、ピリピリムードで試合を迎えます。
その警護にセルビア人警察隊が動員され、セルビア人にこれまで虐げられてきたディナモ・ザグレブのクロアチア人サポーターと、レッドスターのセルビア人サポーターとで一触即発状態になります。
そして試合開始前に、クロアチア人サポーターとセルビア人サポーターが衝突、警備隊も鎮圧に向かいます。
しかし暴動は治まらず、グラウンドまで乱入し警備隊は催涙弾を発砲するなど事態はより深刻になります。
その行為を見逃せなかったボバンは、クロアチア人サポーターをかばうため警備隊に飛び蹴りを食らわせるなど乱闘に参加します。
この暴力行為がきっかけで、ボバンは9ヶ月の出場停止処分を食らいます。
ユーゴスラビア内戦と国際対外試合の禁止へ
この事件で反ユーゴスラビアへの機運が最高潮になり、翌年のクロアチア独立戦争とユーゴスラビア内戦へと繋がりました。
事態を重く見た国際社会は、ユーゴスラビアに様々な制裁を加えます。
その国際世論の流れ乗って、FIFAと欧州サッカー連盟は、ユーゴスラビアを国際対外試合の禁止を決定します。
1992年スウェーデンで行われる欧州選手権に出場予定だったユーゴスラビア代表は、大会10日前で出場資格を失いました。
一方戦争は、激化し1995年まで繰り広げられることになりました。
ボバンは内戦勃発当時、イタリアのACミランへ移籍しており国外にいましたが、親しい人たちは戦火の渦に巻き込まれ犠牲になった人もいました。
その実際の体験話を聞いたり、本人が直面した緊張状態の経験があるので、冒頭のサッカーは戦争だというフレーズに嫌悪感があったそうです。
そのボバンは、
「サッカーは戦争だと言う人は本当の戦争を知らない」
と言い、サッカーと戦争はあくまでも別物だという考えを持ち、安易に戦争と揶揄することを否定しています。
それだけボバンが受けた戦火の衝撃は大きいものだったと思います。
おわりに
サッカーは熱狂しやすいスポーツです。
サッカーはあくまでもスポーツであり、エンターテイメントです。
政治的な因果関係はあるかもしれないが、ピッチ上では政治的な話題は持ち込むべきではないと思います。
サッカーに限らず、スポーツというのは、勝敗がかかると熱くなりやすい。
それゆえヒートアップし過ぎて、とんでもない行動に出る恐れがあります。
政治とスポーツをきちんと分けて考えて、サッカーをはじめ、スポーツを楽しんで欲しいと思います。
それでは今日はこのへんで
ご拝読ありがとうございました。
了
⇓参加しています。ポチっとしてくれると励みになります。
この記事よかった!っと思いましたら、スターかブックマークを押してくれると喜びます^^