こんにちは! Nishi です。
今日は雑談回。
先日、ビジョントレーニングの記事を上げた時、将棋の話にも触れました。
昔も今も、男性の方なら一度は触れたことはあると思います^^
僕も小さい頃、親戚のおじさん達に駒の動かし方を学び、一応ルールなどは知っていましたが、そのおじさん達は大人げなく手加減しない性格ばっかりだったので、もろにボロ負け…
そんな経験があったので、まぁ動かした方は知っているよ程度の世界でした(^^;
しかし、将棋を別の観点から見ると、「あぁなるほど!」と思い、その思考になってから戦術も理解できるようになってそれなりに指せるようになりました。
その観点というのは、将棋は物々交換ゲームという観点でした。
当初は、王将を取るゲームなので、まさしく戦争ゲームだと思ってました。
自分の王将を守りつつ相手の王将を取る為に、歩兵やその周りの駒が奮闘するという観点でしかありませんでした。
たぶんみなさんも、僕と同じ観点で将棋をイメージしていると思います(^^;
しかし、本来は王将ではなく、玉将が本来の意味だそうです。
玉とは、日本の三種の神器のひとつでもある八咫の勾玉にも代表されるように、翡翠などの玉は最高級の貴重品です。
日本だけではなく、古代中国史でも出てくる『完璧』の語源も『璧(へき)を全(まっと)うする』という故事から倣ったもので、この璧も貴重な石を加工した宝飾品です。
その最高級の玉を筆頭に、金、銀、などの貴重品を等価交換していくゲームだという事です。
各駒も貴重品の意味があり、桂馬は貴重な香料の肉桂の素材になる桂の木から、香車はこちらも貴重なお香が由来です。
飛車はそれら貴重品を運ぶ荷車で、角将はその荷車を引っ張る牛が由来だそうです。
その貴重品を守るのが、歩兵である人間がズラっと配置されているのが将棋の意味合いなんだそうです。
これは、おもしろい話だなって素直に思いましたね^^
それで互いに物々交換し合って、最後に最高級品である玉を手に入れた方が勝ちというのが将棋の基本になります。
この物々交換も、歩と歩同士だと同じ価値同士の交換になります。
しかし、歩と銀の交換だとどうでしょうか。
少ない価値で大きな価値の銀を交換した方が得したことになりますよね。
このように、自分は少ない価値で大きな価値を取り、得するように思案していくと要領がわかるよと話された事があります。
この話を聞いてから、将棋の奥深さと面白みがすごく理解できましたね。
ちょっと歴史の話になって眠たくなるような話になりますが、その将棋の本来の意味合いを知る話として、将棋界の巨匠・升田幸三さんの話も紹介します。
日本が太平洋(大東亜)戦争に敗戦した時、GHQから日本語や日本の教育が悪いと一方的な価値観で見られていました。
その中で将棋も狙われて、「軍国主義に走らす悪い物である」と認識され、禁止にする動きがありました。
そこで日本側の代表として升田幸三氏が、GHQの高官に呼ばれ尋問を受けることになりました。
GHQ「将棋はチェスと違い、取った駒を自分の駒として使う。これは捕虜虐待ではないか」
と問われ、すかさず升田氏はこう切り返しました。
升田「チェスでは取った駒は使わないが、これは捕虜虐殺ではある。将棋は、捕虜(取った駒)を元の官職(銀なら銀、飛車なら飛車)のまま、能力(駒の動き)を尊重して味方として登用する。これこそが真の民主主義である」
っと逆に鋭く反論しました。
さらに升田氏は、
升田「チェスは王様が危うくなると、女王様でさえ盾にして逃げようとする。これはあなた方の民主主義とレディファーストに反する行為ではないだろうか」
っと、GHQ側高官をやり込めました。
流石にこう言われては、GHQ高官も苦笑いするしかなく、将棋は禁止になる事もなく現在まで受け継がれる日本の文化のひとつになりました。
おそらくこのGHQ高官も、以前の僕と同じく戦争ゲームという観点で将棋を見ていたんだと思います。
本来の意味を知ると、その物事の本質に触れる事ができます。
本質を理解すれば、対応策もそれになぞらえたものが生み出され、物事がスムーズに進みやすくなります。
物事の真相を深く知るというのは、こういう事を言っているのだと僕は勝手に解釈しています^^
升田幸三さんは、後にこうも言っています。
人生は将棋と同じで読みが深い者が勝つ
何かを始める時、直情的に飛びつくのではなく、一度しっかり考え計画的に行動する大切さを言っているのかもしれないですね。
とうことで、この前ブログを書いている時に、この将棋の話を思い出したので紹介しました^^
もっといつもは肩の力を抜いた話だけど、たまにはこういう話もいいかなぁって思いました(笑)
それでは今日はこのへんで
ご拝読ありがとうございました
了