こんにちは! Nishi です。
今日の本題に入る前に、まず自分事のお知らせです。
先日、目の放射線治療も終わり、経過診察を受けて問題なしでした。
これで晴れて自由に外出出来るようになりました^^
しかし、北海道がコロナ陽性者が増えたことで、緊急事態宣言延長の兆し…
まだまだ遠方遠征は叶わなそうですね(^_^;)
さて、普段は土日に雑記ブログを書いていますが、地元のニュースでタイムリーな話題があったので紹介します^^
縄文遺跡群世界遺産内定へ
昨日ニュース速報を見て、驚きました!
なんと、上記記事のように自分が住む街が世界遺産になります(^_^;)
というのも、内定を受けただけで確定ではありませんが、このユネスコの諮問機関から登録するように言われてたら、登録される慣例があるみたいなのでほぼ確定のようです。
自分が住む街が、世界遺産になるというのはまだ実感はわかないですが、でもこのニュースは素直に嬉しいです^^
今回の縄文遺跡群の登録は、青森の三内丸山遺跡と亀ヶ岡遺跡がメインですけど、この遺跡群を中心に周辺地域の世界遺産登録になります。
三内丸山遺跡は、これまで縄文時代は狩猟がメインの為定住していなかったというのが定説でしたが、大規模な住居跡が見つかりその考古学の定説を覆したとしても有名です。
また発掘された品々から、ゴボウやマメなどの栽培植物も発見され狩猟だけ行っていたわけではないことも確認されています。
亀ヶ岡遺跡では、有名な中空土偶も見つかっていますね。
これらの遺跡は、世界の考古学者からも評価され、世界最古の文明とも言われたりしています。
当時は日本列島が文明の最先端で、そこを起点に世界各地に散らばった…っと考えるのもまたロマンですね^^
これもあながち大袈裟な話ではなく、そうかもしれませんしね。
世界最古の磨製石器は、日本で発掘された38,000年~35,000年前のものなので、その磨製文化から発展したものとも考えられます。
今のところ、日本で発見されたもの以前のものは発見されていませんので、あながち否定はできないのです(^^;
考古学の発展とともにいろんな事実がわかってきていますので、今後の研究に注目ですね。
函館・南茅部の大船遺跡
北海道・北東北の遺跡群として、今回世界遺産の登録内定になりましたので、海の向かい側の函館など道南地方でも同時代の遺跡が発見されています。
一番大きいものは、旧南茅部町にある大船遺跡があります。
こちらの遺跡が、この度いっしょに世界遺産に登録される模様です。
僕の生まれは函館郊外ですが、この南茅部で発見された遺跡の流れを汲む遺跡が発見され、小学生の時発掘授業も経験しました^^
子供ながらに、「デッカイ土器を掘り当てるぞ!」っと意気込みながら授業を受けた記憶があります(^^;
実は発掘授業で使われた場所は、昔僕のご先祖様が所有していた土地だったみたいです(^^;
でもうちは別家だし、明治初期にその土地を寄付したのでなんの見返りもないし、求める権利もありませんw(-_-;)
今は公園になっており、別の場所ではストーンサークル群が保全されています。
今回の世界遺産の登録には、残念ながら入っていないけど、北海道・道南地方には今の現代日本人と繋がる人たちが暮らしていたのは間違いないようです。
函館も近代建築や幕末の最期の地、そして良質な温泉地に加え、新たに古代の遺跡も加わります。
観光地として、こんなに見て回るところがてんこ盛りな街ってそんなにないと思います^^
ただ行政側からの宣伝が下手くそなんだよなぁw
もう少し思いっきりアピールして欲しいですね(^_^;)
大泉洋のお兄さん、もっと頑張れーw
※大泉洋のお兄さんは、現在函館市の観光部長です
おわりに
世界遺産に登録になったらなったで、遺跡の環境保全など課題は出てきます。
このへんは昆布の養殖が盛んな地域ということもあり、これまで営んでいる産業に不利益になるようなことも避けなければいけません。
地元民だけではなく、全国の皆さんもこういう課題にも関心を持って欲しいとも思います。
またこの世界遺産登録を皮切りに、いらぬ衝突と既得権益を生むアイヌ新法を見直して欲しいです。
いわゆるアイヌだけが北海道の先住民族という誤解をなくして欲しいです。
先住性を根拠にいうのであれば、縄文人=日本人が先になりますよね(^^;
縄文人からアイヌになったという人もいるけど、その縄文人もまた日本人のルーツなのです。
結局互いに日本人ということですので、既得権益をやめるキッカケになればいいと思う。
勘違いしてほしくないのは、いわゆるアイヌと呼ばれている地域の風俗は否定しません。
いろんな事情で北海道に来て、そこで土着していた人達と一悶着あったり、時には仲良くした事もある。
いわゆるアイヌはアイヌでいわゆる和人から米や鉄器漆器など交易し、逆に和人はアイヌから鮭や毛皮など交易していました。
ともに北の大地で暮らしていた人々です。
そういう長い年月を経て、近代になり、欧米列強国と渡り歩く為に近代国家建設が必要になりました。
そんな時代背景がありますので、北海道の開拓は必然になってきた時代で、北の大地でともに住んでいたいわゆる和人といわゆるアイヌはともに“日本”としてやっていく事になりました。
このへんの歴史を語ると長くなるので、そのへんの歴史に関しては、別な機会にブログに綴りたいと思います^^
それでは今日はこのへんで
ご拝読ありがとうございました。
了