こんにちは! Nishi です。
今日は、久しぶりに地元紹介です^^
併せて歴史の話と社会問題もいっしょにお話しますので、少し硬い内容かもしれませんがお付き合い下さいw
12月も半分が過ぎ、年末の準備も徐々に始めています。
普段の買い物ついでに、年越し準備の為に、野菜の買い出しで個人農家さんで野菜を買ったりしています。
函館からすぐ北に、七飯町があります。
七飯町は、道南唯一の海なし町ということで農業が盛んで、農家さんの個人販売店も数多くあります。
最近出来た道の駅でも、農業が盛んなことを大々的に宣伝して、町興しの一環として頑張っています。
七飯町で獲れる野菜類は、ホント美味しいです。
ハネ物(型崩れしたような商品にならない野菜)も手ごろな金額で販売もしています。
道南はどちらかというと海の幸で有名ですが、山の幸で食文化を支えている街です^^
そんな七飯町は、”西洋式農業発祥の地”としての看板もあります。
江戸時代の長いいわゆる鎖国体制後の開国以来、函館周辺は意外と日本初も多い地域です。
そのひとつに西洋式農業発祥もありますが、どういった経緯があるのか、なかなか興味深い歴史の話があるのでご紹介します^^
ガルトネル開墾条約事件
幕末の開国に合わせて、日本には様々な先端技術が諸外国から入ってきました。
開国の先陣を切ったアメリカをはじめイギリスやフランスなど、これまで通商があったオランダや清以外の国からも人が往来することになりました。
その中で、プロイセン(現在のドイツ)もありました。
大政奉還により、明治新政府へ移行する際に、旧幕府軍と明治新政府軍とで鳥羽・伏見の戦いが起こります。
旧幕府軍は徐々に後退していき、蝦夷地を最後の決戦の地として箱館に向かいます。
その頃箱館は、幕末に指定された貿易港のひとつとして、多くの外国人が往来していました。
その往来していた一人に、ガルトネルというプロイセンの貿易商がいました。
ガルトネルは、プロイセンの貿易会社の箱館店店長兼プロイセン副領事も務める弟の助けを得ながら、箱館近郊の土地を開墾する計画を練ります。
そして、箱館府から当時七重村の土地で開墾する許可を仮契約することに成功しました。
その後旧幕府軍が箱館を占領すると、この開墾契約の交渉を旧幕府軍と進め、旧幕府軍は外国勢力を味方につける狙いもあり、この開墾契約に同意してしまいます。
その契約には、七重村や他の周辺の土地などを99年間借りることも含まれていました。
現地の住民も突然の約定に驚き、いきなり自分たちの土地が借地にされることに対して大いに反発します。
そりゃそうですよね…(^^;
そして、数か月後に旧幕府軍は新政府軍に敗れ、新政府軍が戦後処理をしていると、この開墾契約が発覚します。
欧米列強の植民地化から日本を守る為に起きた幕末・明治の改革に、このような外国の侵略の第一歩になるような契約は大問題です。
すぐに気づいた明治新政府は、ガルトネルとの厳しい交渉の末、多額の賠償金を支払う上でこの契約を破棄しました。
現代にもある外国資本による土地売買問題
もしこの契約が残ったままだったとしたら、日本にも香港のような感じになっていた可能性は十分にありえます(^^;
香港とは事情は違うとはいえ、国際紛争になっていただろうと思います。
そう考えるとちょっと恐ろしい話でもありますね…
当時は、全世界が欧米列強国に次々と植民地化されている情勢化で、日本もその波に飲み込まれるか危機感があった時代です。
その危機感が故に、明治新政府を中心に国民の総力をもって近代化を成し遂げました。
その先人達の努力と苦労の下で、僕らの今の生活は成り立っています。
近年は、海外資本の土地売買問題が深刻化しているニュースを度々耳にします。
特に中国資本の土地売買が問題となっております。
ガルトネル開墾条約事件を教訓に、もっと危機感を持った方がいいと僕は思う。
特に北海道は、実際過去にこのようなことが起きた当事者なのだから、より考えた方がいいと思う。
先日政府は、外国人の土地取引に関する改正法を出しました。
この法改正が、歯止めをかける一歩になってくれるといいですね。
おわりに
まぁ、こんなドタバタ劇が150年前に繰り広げられた七飯町は、その副産物(?)として、現在美味しい農作物がたくさん獲れる街になりました。
近年は”都会”の函館のベットタウンとしても栄えており、人口減少で苦労している自治体が多い中、微増している数少ない自治体です。
新道も整備され、大沼公園という観光地も抱えています。
函館の影に隠れがちですが、北海道らしさも味わえる町ですので、一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか^^
それでは今日はこのへんで
ご拝読ありがとうございました。
了