こんにちは! Nishi です。
昨日のブログで競技フットサルは引退したことを報告しました。
僕なりにサッカーをプレイする上でいろんなことを考えながらプレイしてました。
その中でもサッカーだけではなく、歴史上の人物の言葉や出来事を参考にしながらプレイしてました。
特に軍略や兵法などから多くの事を参考にしていました。
軍略や兵法と聞けば、ドンパチが好きな暴力的な思考か?と思う人が多いかもしれませんが、決してそうではありません(^^;
むしろすぐにそういう思考になる方が危険だと思います…
あまり突っ込んで語っても話が脱線してしまうので割愛しますが、戦争も含めて戦いとは目的があって始まるものです。
その目的を達成する為に戦略や戦術というものが存在します。
これはサッカーに限らず、他のスポーツでも言える事だし、また社会人になった時も求められるものです。
気合だ!根性だ!っと言っても成果というものは、なかなか達成できるものではありません。
ですから事前の計画、ここでは戦略や戦術が大切だということです。
これはもういろんな人が言っているので十分わかるかと思います(^^;
それがサッカーの育成現場では、そのことが理解されてない場面を多く見てきました。
小学生年代には戦略や戦術は必要か?
子供には伸び伸びと自由にサッカーをやらせたい。
とにかく楽しいということを教えたい!
だから戦術的な難しいことは教えないっという風潮が少なからずあります(^^;
楽しむという考えには概ねそ同意しますが、だからと言って戦術面を何も教えないのは違うと僕は思う。
細かい戦術の練習は年齢にもよりますが、基本的な考え方くらいは教えてもいいと思います。
小さい頃、缶蹴りとかやっていて鬼のスキをみて缶を蹴るのに友達と作戦を立てて、なんとか缶を蹴ろうと動いたりしていました。
子供にとっても、作戦を考えてその作戦を実行するというのは”楽しさ”のひとつだと僕は思う。
大人の勝手な価値観で、小学生には早いという固定概念は捨てた方がいいと思います。
それは少年団のコーチに任せっきりではなく、あのプレイどうして上手く出来なかったのかな?っていっしょに考えることも大切かなって思います。
それにも、まずはやらせてみて、どれが上手くできたか、どれが上手くいかなかったか考えさせてこういう動き方があるよという教え方でいいと思います。
どうしてできなかったのか、子供といっしょに考えるのもまた教育なのかなって思います。
兵は詭道なり
孫子の兵法では”兵は詭道なり”という有名な言葉があります。
”戦いは騙し合いである”という孫子の兵法で有名な言葉ですが、これには続きがあります。
”故に能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し”っと続きます。
出来るのに出来ないふりをして、必要なのに不要と見せかける。
サッカーでもこの考え方は通じるものがあります。
ドリブルの切り返しもそうです。
右に行くと見せかけて左に行く。
今流行りのスペースを作る動きでもそうです。
一人がマークを吊り出して、その出来たスペースを使うのがそうです。
こういう駆け引きの仕方は、早い時期から教わっても決して早すぎるとは思いません。
むしろより多く経験させることで、選手としてもこれから大人へと成長させる意味でも大きな経験になると思います。
騙すという言葉自体は悪いかもしれませんが、勝負事の鉄則としての駆け引きはある程度成熟した年齢から教えていっていいと思います。
おわりに
子供だからといって、過剰に意識しすぎて大事な部分を教えずにしておけば大事な局面で失敗、負けてしまいます。
潔くとか子供らしくという、一見キレイな言葉で片付けるのではなく、勝つための術は教えていった方がいいと思います。
負けて悔しくて覚えることもありますが、戦術面も知らないで悔し涙流させるよりかは、勝つための戦術を教わった上での悔し涙であって欲しいと思う。
それこそ全力で戦ったという、いい涙かなって個人的には思います^^
ボールを蹴る楽しさもサッカーですが、相手がいて多く点を取って勝ち負けが存在する以上、 勝つための術も同時に教えていって欲しいと思います。
それでは今日はこのへんで
ご拝読ありがとうございました。
了
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