こんにちは! Nishi です。
10年前の事は覚えていますか?
僕は、10年前はまだ20代で、仕事もサッカーもまだまだ体力が有り余っていましたw
一生このまま続くのかと思っていましたが、30歳を越えると体力的にどうしても衰えは出てきますね(^^;
ちょうど今から10年前は、覚えている人は多いと思いますが、サッカーの世界では南アフリカ・ワールドカップがありました。
その前の2006年ドイツ・ワールドカップでは、期待されていながら不本意な成績で敗退したので、この大会に懸ける期待は大きいものでした。
しかし、直前の親善試合などで負けが続き、みな本大会に不安を抱いていたと思います。
ところが本大会になると、背水の陣で選手達が奮起したのか予選リーグを勝ち上がり、決勝トーナメントに進出しました。
決勝トーナメント一回戦で惜しくも敗退しましたが、批判を覆す結果を残しました。
その時の日本代表の監督が岡田監督でした。
その岡田監督が監督として失敗したことを取り上げた記事があり、なかなか興味深かったので紹介します。
選手発表の言い方やタイミング
岡田監督は日本代表監督として、1998年フランス・ワールドカップと2010年南アフリカ・ワールドカップを率いました。
監督は目標を達成する為に、ワールドカップで戦うメンバーを選ばなければいけません。
起用したい選手はたくさんいると思いますが、現在のワールドカップの規則では23人(うち、GKが3人)を大会前に事前登録しておかなければいけません。
そのメンバーを決める際も、監督も一人の人間ですからかなり悩むと思います。
できればみんな連れていきたいけど、人数制限があるのでそうはいきません。
時には功労者を選外にしたりと、苦渋の決断を迫られます(^^;
その時公表する際に、発表する方法やタイミングひとつで、選外になってしまった人に与えるダメージを和らげれるかどうか変わってきます。
岡田監督も1998年の時は、選外選手を先に発表してしまったがために、その選外選手と微妙な関係になってしまったそうです。
それと併せて外部から不仲説など、余計な噂が流れるようになってしまいました。
現在は、選ばれた人を発表するスタイルになり1998年以降はサッカー協会もこのやり方を踏襲しているそうです。
落第者を発表するよりかは、選ばれた人を発表した方が心理的にもいいと僕は思います^^
監督としての信念の貫き方
チームを統率し指揮する役目の監督は、その責任と重圧は計り知れないものがあります(^^;
チームの大小もあるかと思いますが、草サッカー、学生サッカーなどでも同じです。
監督は中途半端な気持ちで引き受けてしまうと、チームの方向性も不透明になってしまい選手達がどの方向を向けばいいのかわからなくなってしまいます。
しっかりとした信念と考え方を持つ必要があります。
監督としての覚悟を語った言葉で、
「たとえどれほどの批判をがあっても、私が決めた代表で戦い、それで負けても、私は私の責任を取れる」
というものがあります。
2002年の日韓ワールドカップのブラジルを率いたスコラーリ監督の言葉です。
当時、実力も人気も兼ねそろえていたエースストライカーのロマーリオをメンバーから外しました。
チームの和を乱す行為が目立っていたため、チームの構想外にしました。
ファンやマスコミも、スコラーリを叩きましたが、スコラーリは先ほどのコメントをし自分の信念を貫きました。
その信念と責任感を貫き、ブラジルを見事にまとめ上げ優勝に導きました^^
リーダーや管理職でなくても、自分の行動や発言というものには責任がつきます。
仕事やスポーツなら結果も同時に残さなければいけない。
プレイひとつとっても、身勝手な振る舞いは周りに迷惑をかけるだけです。
人として質の違いが感じるのは、こういう信念の差なのかもしれないですね(^^;
おわりに
部下や他人に責任を押し付けるような上司や同僚は信用できないですよね。
良い信頼関係を築く為にも、お互いの行動に責任がかかってきます。
行き当たりばったりの軽い言葉や行動は不信を招いてしまいます。
「このプレイに関してこう考えたからこの選択をした」とか、自身の行動に責任を取れる人間になりたいものです。
意味もわからずに〇〇に反対や、誰かがきっと何かをしてくれるというものの考えではなく、もっと自分の行動や言動に責任を持つようにしたいですね(^^;
公の面前で発言される場合も、スコラーリ監督のように表面の触り部分だけでなく、中身もしっかり吟味して自分自身の主張をしっかり出来るようになりたいです。
それでは今日はこのへんで
ご拝読ありがとうございました。
了
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