こんにちは! Nishi です。
先日は、夏の高校野球の諸問題について僕の見解を記事にしました。
部活動廃止はこれまでの学校制度を根本的に変える為、難しいことは重々承知です。
ですが、日程面や開催地の考慮は早めに検討した方がいいと思います。
先日述べた通り、僕は休養日確保の為1~3回戦は周辺球場を使って並行日程で組み、ベスト8から甲子園球場開催論者です。
甲子園の歴史や伝統を配慮した最低限の策だと思っています。
でもやっぱり下記のように、甲子園を神聖化した意見っていうのは野球界にたくさんあるのかなっと疑問に思っています。
よくこの問題で取り上げられる“出場経験者の声”ってやつです。
まるで「甲子園に出場したことのないやつは、気持ちもわからんだろう」って言っているようでこの手の論調は正直好きではありません。
個人的な感想は一旦置いといて、夏の甲子園は球児達の輝ける夢の舞台だといわんとばかり・・・
この記事に早速ツッコむとしたら、では夏じゃなくて同じ大会要綱なら秋でも冬でも良くない?ってとこ^^;
結局夏に行う意味があるのかって話になるので、この論調は止めた方がいいと思う。
僕はどちらかというと、年間スケジュールの都合上、夏開催は致し方ないと思うからこそ日程で調整すべきだと思う。
あと、夏の甲子園が輝ける夢の舞台ってことだけど、野球っていうスポーツはそんなに視野が狭い競技なんですか?と言いたくなる。
例えばサッカーなら、プロになって活躍し日本代表になってワールドカップ出場、優勝したい。
そしてレベルアップの為、海外移籍して高額な年俸貰うっと言ったような夢がある^^
もちろん個人で高校サッカーを夢の目標地点にしている人もいるが、その先を見据える上でどこまで無理するかは自ずとわかるはず。
仮に野球は甲子園出場が最終目標地点なら、18歳で野球人生終わることになる。
選手としては無理したい気持ちも出てくるのはわかる。
自分もそうだったから・・・
しかしその気持ちを周りの大人が、もっと先に未来があることも諭す義務はあると思う。
まだ先に人生がある人に、死んでこいなんて僕は言えない。
好きなものなら出来るだけ長く続けたいし、もっと上手くなりたいと未来を夢見るものだと思う。
野球は最終目的地がそんなに短いスポーツなのか?
目標がそこしかいけないなら、僕の周りにいる人達には野球は絶対薦めないスポーツである。
もし野球の世界がそれを許さない世界なら、野球はスポーツではないと思う。
野球人口が激減している理由にこの事もあると思います。
邪な考えでいうと、
「野球人口減少などどうでもいい、俺たちの利権さえ守られれば球児が犠牲になってもいい」
という考えを続けてくれれば、それだけサッカーやバスケなど他の競技にどんどん人材が流れてくれるので、このまま時代とともに取り残され淘汰されてくれればいいと思う。
それに対して危機感がある野球に携わる人達は、盲目的にならずもっとスポーツとして考えた方がいいと思う。
感動の押し売りによる犠牲者や、若い学生たちの未来を狭める規則があるなら、大人たちが知恵を絞って改善していき、子供たちを守ってあげないといけないと思います。
子供たちの未来を守るのが大人の義務である。
”教育”にも関わる問題だと思うので、今の夏の甲子園の在り方だけでなく、他競技のインターハイの在り方も心ある政治家には改革をお願いしたいところではあります。
今日はこのへんで。
ご拝読ありがとうございました。
了
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