北の大地の南側から

サッカー・フットサルを中心にスポーツの話題を、時には楽しく、時には厳しく記していくブログです。

【サッカーと近現代史】共産主義体制が及ぼしたサッカー界の悲劇

こんにちは! Nishi です。

 

昨日、一昨日と首都本拠地のクラブは強いのか?というテーマで書きました。

 

そして首都が強いチームの場合は、過去に全体主義・共産主義の影があったというお話でした。

 

意図はしていなかったんですが、ちょうどその共産主義陣営と資本主義陣営の戦い、いわゆる冷戦の時代を物語る象徴的な出来事があった記事を見つけました。

www.news24.jp

ベルリンの壁崩壊は、冷戦終結の象徴たる事件として今も代表的なものですね。

 

その後東西ドイツの統合があったり、ソ連の崩壊、共産主義国の民主主義化など一気に時代の流れが変わった時でもありました。

 

共産主義の台頭は、近現代史を語る上では外せないものになりました。

 

政治や経済だけではなく、スポーツの世界でもその波は押し寄せていたのは前回の記事にも書きました。

 

www.mariaazzura-nishi.com

 

共産主義陣営の政治の道具として利用された、悲しい歴史でもあるが、皮肉にもサッカーのレベルを上げたことも事実ではあります。

 

この歴史に翻弄された代表チームもサッカーにはありました。

 

それはハンガリー代表チームです。

 

1950年代初頭、国際試合で1954年のワールドカップ決勝で負けるまでの間、勝率8割7分というとんでもない記録をたたき出したハンガリー代表。

 

しかも内訳は32戦中、28勝4分け0敗。

 

なんと4年間無敗でした。

 

一試合当たり4.5点というこちらもハイスペックな成績を残しています。

 

その強さから”マジック・マジャール”と呼ばれていました。

※マジャールとはハンガリーの言葉でハンガリー人のこと。

 

ワールドカップの決勝では負けはしましたが、その後も変わらない強さを見せつけ、2年間で21勝5分け2敗という超好成績。

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そんなチームがひとつの政治事件によって、一瞬の内になくなってしまいます。

 

1956年に起きたハンガリー動乱事件です。

 

共産主義圏陣営のリーダー国、ソビエト連邦のお墨付きを得ているハンガリー共産党政府の支配に対する民衆の蜂起がハンガリー全土に拡大しました。

 

1953年に、ソビエト連邦で絶大な権力を握っていたスターリン書記長が逝去すると、ハンガリーにも政治経済の自由化が進み始めました。

 

それを阻止しようと、ソビエト連邦がその民衆の反乱に軍事介入し鎮圧した事件です。

 

この国内の政治的動乱中、サッカーハンガリー代表は国外に遠征中でした。

 

国内の政情不安もあり、主力だった選手達はそのまま遠征先に亡命してしまい、これにて世界最強チームといわれたチームは空中分解してしまいました。

 

その後はオリンピックでメダルを獲るなど、ある程度実績は残したハンガリー代表でしたが、マジック・マジャールと恐れられた頃に比べると強烈なインパクトは残すことは出来ませんでした。

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ちなみに日本代表がメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した時の大会で、銅メダル獲得前の準決勝の相手がハンガリーでした。(結果は0-5でハンガリーの勝利)

 

ワールドカップには1986年大会以来出場できず、今も浮上の兆しがあまり見えず長らく低迷が続いています(-_-;)

 

このままハンガリー代表の功績は悲劇の内に闇に消えるのか・・・と思うかもしれませんが、現代サッカーに通ずる功績をしっかりと残しています。 

 

ちょっとボリュームがある話なので、続きは次回に回したいと思います。

 

今日はこのへんで。

 

ご拝読ありがとうございました。

 

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